京都バッハ・ゾリステン「マタイ受難曲」全曲

落ち込み気分を引きずりつつ、自転車で京都コンサートホールへ。
会場に着いたらなんとエレベーターの前で教会員の方々と出くわした。まあたぶん誰かには出会うだろうなとは思ってたけど。素直に「今日は寝坊して礼拝行けなかったんです、初めてです、ショックです〜」と話したら気持ちが軽くなった。バカみたいに単純な私。
皆さんとは席が違うのでホワイエでお別れして、私は3階の下手バルコニー席へ。このホールでの私の定位置席です。ここって1階はS席ゾーンでも音がバラけるので(と私は感じるんだけどそんなことないですか?)、私は3階派。
「マタイ」は、テクストと向き合いながらみっちり全曲通して聴くのはさすがに相当なエネルギーを要する。所要時間が3時間近くってのもあるけど、なんといってもクラシック音楽史上の大傑作「マタイ」ですから。しかも今の私はテクストからもちゃんと色んなことを感じるようになっているし。でもさ、私は本当に聴きたくて来たっていうかモチベーションと覚悟を持って来たからいいんだけど、普通の演奏会の感覚で来ちゃった人はかなりきつかったんじゃないだろうか? なんてことを思ってしまうのは傲慢? でも座席は7割くらい埋まってたけど実際ハードに感じた人も多かったんじゃないかな。
演奏は、オケは丁寧で端正。京都フィグラール・コールによるコーラスは、全体的にもうちょっとボリュームが欲しかったかなあ。でも情熱を持ってしっかり練習されてきたことが感じられました。テクストの意味をよく理解しようと努めて歌っておられることがひしひしと伝わってきた。コラールが胸に響きました。そして第2部63曲の「まことにこの人は神の子であった」の一節は完璧で、ぞわーっと鳥肌が立った。
ソロはテノールの畑儀文さんがとにかく素晴らしかった。こんな充実したエヴァンゲリストを聴けることはそうそうないだろう。
第2部のヴィオラ・ダ・ガンバとバス(歌のね)のアンサンブルは至福のひと時でした。ガンバの方は超上手かった。いつかガンバにもトライしてみたいなあ。とか、最近ヴィオラもろくに練習してないくせに思う私。
視覚的にも第1オケと第2オケの様子が面白かった。
残念だったのは、なぜだか知らないけどある1人の聴衆が第2部からいきなり、曲中(!)と曲の後にソロに対して拍手するようになったこと。演奏者も聴衆も息をつめてまさに音楽に集中してる、その凝縮された時間と空間の中で、いったい何をどう考えれば「ぱちぱちぱちぱち」と四拍手なんかできるんだ?! しかもそれを曲ごとに何度も何度もやるなんて! ありえへん。確かに音楽の味わい方や反応の返し方は自由だし、一般に考えられているように曲中や曲間に拍手することは必ずしも絶対にダメだとは私は思わない。でも、いくら何でもこれはひどすぎるよ! 音楽の世界をぶち壊しちゃってるじゃん! 演奏者と聴衆と、何よりも音楽に対して失礼だよ。あまりにも腹が立ってイライラして、集中力が大幅に削がれてしまった。でも私にはどうすることもできないから(私は念力でその人の拍手を止めることはできない)、「落ち着け私」と自分に言い聞かせ、その人を本気で憎みそうになる自分を抑えて「愛だろ、愛!」と心の中でつぶやき続けて、聴いていた。ああもったいない。
そんなハプニングもありつつ、聴覚で聴いたというだけじゃなくて「マタイ受難曲」というひとつの貴重な体験をした3時間だった。
出演予定だった江戸川女子高校合唱部(ソプラノ・イン・リピエーノ)の皆さんは震災の影響のため出演キャンセルになっていた。震災の中、受難節の中、この音楽体験の意味を自分に問いながら帰路についた。