養老天命反転地へ

tsukihoshi2010-05-09

左京区界隈の仲間どもと、岐阜県は養老にあるかの有名な養老天命反転地(以下「反転地」)へ行ってきました。
私の心の恩師が以前「あそこは面白いですよ」と勧めていたので(フンデルトヴァッサーは曲線が嫌いだったらしい、という話をしていた時だった)、前々から行きたいと思ってたんだよね。
公式サイト→ http://www.yoro-park.com/j/rev/
朝10時半、車2台で出発。天気は良好、気温も暑すぎず、絶好の行楽日和。
おんぼろのワンボックスでZap mamaを聞きながら、窓から風に吹かれているだけでもうすでに気分は最高。
高速のインターで休憩してソフトクリームを食べる。行楽気分満載。携帯で反転地を検索した奴が読み上げる情報(「極限で似るものの家:中に入ってバランスを失うような気がしたら、自分の名前を叫んでみること。他の人の名前でもよい」「楕円形のフィールド:「切り閉じの間」を通る時は、夢遊病者のように両腕を前へ突き出し、ゆっくりと歩くこと」とか)を聞いて、一同興奮する。
2時間くらいで養老へ到着。
まずは車を止めて、フードコートで腹ごしらえ。濃い味好き・甘しょっぱいもん好きの私は味噌串カツにやけにハマった。めちゃ単純でジャンキーな味なんだけど、こたえられないうまさ。ビールによく合う。
タコの入ってないタコ焼きなんかも騒ぎながらひとしきり食べて、いざ反転地へ。
いくつか建物というか敷地というかアトラクションというか、があるんだけど、どれもすごおーくヘン。シュールリアリスティックで、アートなんだよね? 生命についての思想とかそういうのが満載されているんだよね? とは思うのだけど、どの辺りまで本気でどの辺りから面白モードなのか?といぶかってしまう。いや、120%本気なんだろうけど、きっと。芸術性のことはよく分からなかったけれど、すべてが曲線で構成されているということ、歩いていると地軸が歪んでいく感覚になること、普段使わない筋肉や感覚を使って体で感じる場であることは間違いないです。面白いかどうかと問われれば、面白かった。反転したかと問われれば、しました。養老したか、天命を感じたかと問われれば、よく分からなかった、というのが感想です。
カップルでデート的に来てるっぽい人がたくさんいたけど、ここをチョイスするのはどうなんだろう? ロマンティックではないことは確かだわ。そして帰りは疲れて無言になりがちだろうなーと1人で邪推したりした。
炎天下をひたすらうにょうにょ歩き回って皆ぐったり疲れていたので、一呼吸ついてから、反転疲れを取るべく温泉へGO。
近くの温泉は900円とリーズナブル。内湯はぬるめと熱めがあって、ぬるめが心地よい。けっこう濃いめのお湯で、ぐだぐだつかるには最適だった。今日の疲れのみならず、冬から溜め込んでいた色んな疲れがお湯に溶け出していく感じ。極楽極楽。
もちろん露天風呂もあって(大好きだ!)、まだ明るいので青空に雲がゆっくり流れていくのをぼけーっと眺めたり、すぐ間近に連なる山々を眺めたり、地元の人たちの日常会話を聞くともなく聞いたり、一緒に入った友人と海外移住の可能性についてだらだら語ったりしていた。将来海外(ヨーロッパ)に住むことになったとして、私は和食やコメにはそんなに愛着がないので日本の食事が恋しくて悶絶するということにはたぶんならないと思うけど、温泉を渇望することはあるかもしれないなー、など話していた(昨年ベルリンでお世話になった、日本から移住したキラキラさんに「日本が恋しくなることはある?」と聞いたら「温泉!!」と声を大にして言ってたしなあ。)露天風呂に入っていると時間が止まる。幸せってこういうことだよなあとしみじみ思った。
風呂上がりに豆乳ソフトクリームを食べて、帰路につく。途中でラーメンを食して、22時くらいに京都に到着。アパートに送ってもらいながら、「温泉の良さが身に染みるようになったのって、うちらも年とったってことだよねえ」とか苦笑ぎみに話した。ほんとにねえ。
難しいことや深刻なことは何1つ考えたり話したりしなかった1日でした。毎日このモードだと問題あると思うけど(実は問題ないのかも? いやそんなことはあるまい)、たまにはこういう日があってもいいでしょう。
それにしても、複数人と一緒に1日じゅう遠出をして遊んで楽しんで帰ってこれるほどに私は回復してきたんだな、としみじみ思った。冬の私からはまるで考えられないことだ(韓国旅行は例外、というか韓国でもうつうつうじうじしてたし。そういえば韓国の旅行記はまだ書いていませんね、そのうち書けたら書きます)。そろそろ色んな先延ばしにしていたことをやり始める時期なのかな。