大江健三郎『恢復する家族』

読了しましたので、ちょっと感想を。
先週の金曜にたまたま大学図書館で手にとって、また借りるだけで読まないかもなあと思いつつ一応借りておいたのでした。その日の午後、お城の森のベンチに座って遅い昼ごはんを食べながら読み始めて、これは私の読書史上で稀に見るくらい素晴らしい本だと気がついた。とにかく1字たりとも読み流してはいけないと思い、近くの県立図書館へ行って心地よい風が当たるイスで、そしてお城の堀端に面したソファで日が暮れ始めるまで読んだ。「じっくり噛みしめるように読む」って、ああいう読み方を指すのだと思う。初読の時からそんなふうに1字1字をゆっくり、じっくり、味わうように読んだことって、たぶん今までにそうなかったんじゃないだろうか。とにかく今目の前にある文章は私にとってすごく大切で重要な意味を持つものであるはずだ、と分かっていたので、目で見て頭で理解したものが心に染みていくのを確認しながら、その作用を追い越してしまわないように、ゆっくり読み進めていった。
もともと東大・立花ゼミ『二十歳のころ』に入っていた大江氏のインタビューに非常に心を動かされていたので、いつかこの人の著作をきちんと読む必要があるな、とは思っていた。それがこんな偶然に、こんな良い形で訪れるなんて。幸運だったと思う。
内容の中心にあるのは、やはり長男光さんのこと。大江氏が、そして家族や近しい方々が光さんの存在をどのように受け入れ、共にここまで歩んできたのか。そして光さんが、あまり多くはない言葉とそしてご自身の音楽を通じて、どれほど深い心の交流をそれらの方々と分け持たれてきたのか。そして、そのような大江氏/大江家の言わば「個人的な体験」が内包する豊かな意味は、私たちが生きるこの世界においてどのような価値を持ちうるのか。
そのような命題が、平易であたたかみのある文章でもって、実にていねいに綴られている。大江氏の語り口はどこまでも謙虚で思慮深く、夫人の優しいまなざしで描かれた画と共鳴しあって本当に素晴らしい1冊を成している。
彼の小説を好きになるかどうかは分からないけれど、しばらく集中的にこの人の著作を読んでみようと思う。