和歌山旅行記

tsukihoshi2006-10-02

先週末の土日は専攻分野のゼミ的授業の学部生メンバーの一部と院生さんの一部、その授業担当の教員で和歌山へ集中授業という名の一泊旅行に出かけた。
私は和歌山に行くのは初めて。しかも今回は和歌山市とかじゃなくずっと南の、世界遺産に指定されたエリアの手前のあたりに行ってきました。
移動は院生さんの車2台に分乗させてもらったんだけど、去年から「閉じ込められる・逃げられない」状況が高校以来再びダメになってしまった私は、案の定不安が強くなってしまってかなり苦しかった。走り始めてから2時間ぐらいは顔がこわばり手は汗だらけ、心臓ばくばくで、車内の会話にもあまり加われず外の風景を見ながら必死で時間をしのいだ。そんなにしんどくなるなら行くなよ!と言われるかもしれないし、苦しんでる最中は私も自分に対してそう思う。でもだからと言って、元気な時に将来の行動を自分で制限するというのはなかなか難しいことなのです。行きたいところへ行けない、したいことができない、しかも他の人は行ける・できるのに!というのは悲しいし悔しいから。それに調子がよかったり色んな条件が整うと、時には事前に心配してたほどしんどくならずに閉鎖状況をやり過ごせたり、場合によっては楽しめる時もある。だから「この前はダメだったけど、次は大丈夫かもしれない」って思いたくもなるのですよ。だって自分にその程度の期待ぐらいはしてやりたいじゃない? でも今回もダメだった。苦しかった。話が先走るけど帰りの車移動もやっぱり苦しかった。
しかしここまでくると来年からの社会生活が本当に心配になる。DSM-Ⅳ(精神医学の診断マニュアルの1つ)的には私の症状は不安障害の中の「広場恐怖を伴うパニック障害」になるんじゃないかと思う。今のうちに受診して何種類かのクスリの相性を試しておくのがいいかもしれない。それにしても今まで私が漠然と思い描いてた「閉所恐怖症」のイメージと、今実際に自分が苦しんでる状況とはかなり違うことに驚いてます。「閉所恐怖症」と言うと私は幼少時に擦り込まれた諸星あたる(@うる星やつら)の「暗いよ狭いよ怖いよー」のイメージが強烈にあって(70年代生まれなので)。でも私の場合は狭さ広さや暗さ明るさなんて全然関係なくて、とにかく「閉じている(閉じ込められている)」ことと「逃げられない」ということが苦しいのです。だから高校の時もある程度広くて明るい教室でも、閉じ込められてて逃げられない試験時なんかには決まって調子悪くなって保健室へ避難していた。あと自分が出る演奏会でもステージ上はこれでもかってぐらい明るいけど、状況的に閉鎖されてるので4月の本番では死にそうに苦しくなってしまった。にもかかわらず、そんな自分を閉所恐怖だと認識したことは最近になるまで一度もなかったのです。擦り込みって怖いなあ。
でも今回1つよかったことは、詳しい理由などは話してないけど、同じ車に乗った学部のコにあたし閉鎖空間が苦手やねんと言えたこと。テンション低いけどごめんねと事前にそのコに言っておいたことで、ムリに楽しげに振舞うこともせずにいられて、しんどいながらも心強かった。
そんな感じで南紀白浜の海岸を車から眺めたりしつつ、宿泊先の山奥のログハウスに到着。山奥というのは本当に深い山の中で、その日の朝まで大阪にいたなんて信じられないぐらいの別世界。私はこの頃みどりに飢えてたので、山の中に来れただけでも今回来た甲斐があった。
ログハウスの下にある広場で火をおこしてバーベキュー大会。来る途中でこれでもかというぐらいに買い込んだ肉や魚介や野菜を炭火で焼きまくって食べまくる。殻つきホタテにぽちっとたまり醤油をかけて焼いたのがすごいうまかった。もちろんお酒も大量に買い込んでたけど、私は前夜の飲酒の反省から自粛して3缶くらいしか飲まなかった。
今回ご一緒した院生さんたちは皆さん現場で働いていた(働いている)人たちなので、飲みながらの会話のほとんどは業界ゴシップねただった。基本的にゴシップ話が嫌いな私は楽しくなかった。その場にいない人の悪口を言いまくるのは、その人に意見表明の機会が与えられなくて公正じゃないと感じるので私は嫌いだ。別にイノセントを装うつもりはないし、情報収集の一手段としてそういうのも上手に利用していくのが大人のコミュニケーションだろうとは思うけど、小学生の頃からこの歳になってもやっぱり好きにはなれない。成長してないってことかねえ。
あと、院生さんのうちの1人が、私が出身大学で非常に苦手だった人のいとこかなんかなんじゃないかと本気で思うくらいに声やしゃべり方やふるまい方が似ていて、それも当時のしんどさを思い出してつらかった。私の勝手な理由で苦手になって申し訳ないなという気はしたけど。
あらかた食い尽くして気温も下がってきたところでその場は片づけて、その後は4棟取ってるうちの1つのログハウスに集まって夜中まで2次会。そこではゴシップの比率は少し下がってきて、アカデミックな話題も入ってきたので私としてはまだ居やすかった。3人ほど脱落して床で寝る人が出てきたので午前3時にお開き。私は学部生2人と自分たちのログハウスへ帰ってシャワーを浴びて寝た。
翌朝は8時に起床。上の写真はその時にログハウスの窓から取ったんだけど、雨降ってて向こう側のログハウスがちゃんと写ってないですね。朝食後、昼過ぎまでその地域で先進的な社会福祉の活動をしておられる団体の方たちから色々とお話を聞いた。昼食後に帰路につき、19時頃に大阪着。
しんどさと楽しさが五分五分くらいの旅行だったけど、好きな学部生の人たちと一緒に時間を過ごせたこと、なかなか行けないエリアに行けたこと、山の雰囲気を味わえたこと、そしていかにも学生ぽいイベントができたことは嬉しかった。そんな夏休み最後の2日間でした。