覚え書き

先週水曜にとある市民活動の集まりに参加したのですが、そこにオブザーバーとして来ていた精神科ソーシャルワーカー(以下PSW)の発言について。
そのPSWは、話の中で「自分がやっている活動の中では『悪者探しはやめよう』『悪者探しをしているうちは回復しない』ということをモットーにしている」という意のことを言って、フロアからそれに対する反論が出て少し議論になった。
私も、そのPSWのコトバは非常に危険だと感じた。確かにそれは「治療的観点」からすれば正論なのかもしれないし、そのPSWが言いたいだろうことも分からないではない。
でも、今まで不当にも「お前が悪い」「お前がおかしい」とさんざん言われ続け扱われ続けてきた人に対して、当事者ではない援助者が「悪者探しはやめろよ」と言ってしまうことは、それが「治療的観点」から出たコトバであっても容易に暴力に転化しうる。しかも、「悪者探しをしてるうちは回復しないぞ」というセリフは、それが述べられた文脈しだいでは明らかに当事者に対する脅迫だ。「だからお前はいつまでたっても回復しないんだ」、「回復したければぐちゃぐちゃ言わずこっちの言うとおりにしろ」と言うのとそう大差ないからね。
そのへんのことを反論された当のPSWは、正面からきちんと回答せずに話をはぐらかして終わった。経験が長くて頭の回転が速そうな感じの人だったからなあ。「老獪」って表現がぴったりくるような。きっとそういうはぐらかしワザはしっかり身につけておられるんだろうなあ。
議論の中で、最初に反論したのとは別の参加者(当事者)の方が、「『悪者探しはやめよう』というのは本人の回復のプロセスの中でのみ意味を持つコトバだと自分は思う」という意のことを言っておられて、そうそうその通り!と思った。
今回のこの集まりは、がんばって参加した割にあまり面白くなかったけど、この一連の議論を聞けたことは良かった。
最近、「援助者がふるう暴力」について真剣に考えるようになった。以前から関心は持ってたけど、今は本の中の抽象的な話としてじゃなく、現実の「今そこにある問題」として考えるようになってきた。その理由の1つは、私自身が援助者になろうとしている立場にあるから。そしてもう1つは、私はある領域では当事者として援助を求める立場でもあるから。どちらも、本や論文の中にいる「どこかの誰か」の話じゃなく、私のことだ。だから差し迫っている。
このへんの話は、先日読んだマツウラマムコさんの論考(http://d.hatena.ne.jp/tsukihoshi/20060502#1146587428)や、高橋りりすさんの本↓が私は参考になりました。

サバイバー・フェミニズム

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