モダンおよびポストモダン、あるいは世界がスウェーデン化しているのかについての考察(1)

先日、知人と話していたら何かのきっかけで「世界のマクドナルド化」という単語が話題にのぼった。
こういう表現、最近よくお目にかかりますよね? 
 何かにつけて「グローバリゼーション」という言葉が盛んに用 いられる今日この頃だけれど、グローバリゼーションと言って もそれは畢竟「アメリカナイゼーション」のことじゃないか。
 世界は今や唯一の超大国アメリカによって、本来それぞれの地域・民族が有してきた社会や文化の固有性を侵食されつつあるのですよ。 
という例の論調ですね。
しかし知人は その考え方は違うと思う、と言う。


その知人の意見はこうだ。
確かに近年の情報通信技術の飛躍的な発展によって、いま世界は急速に小さくなりつつある。
そしてそのために、世界中のあらゆる国や地域は好むと好まざるとに関わらず「高度資本主義経済」の強力な影響を受けざるを得ない状況にある。
そのような「世界の無差別的な高度資本主義経済化」の動きをまさに象徴するものとして「世界のマクドナルド化」という表現が用いられることは、あながち間違いではないだろう。


しかし、それはあくまでも「経済」という限られたパースペクティブから世界を切り取ったときのお話にすぎない。
実際の現代社会は(当たり前だけど)経済以外にも多くの要素によって構成されているのであって、その変化の様態がいかなるものであるかを語るには、経済以外の要素もきちんと検討しなくちゃ。(カタイ言葉たくさん使ったら息切れしてきた)


というわけで彼が紹介してくれた学説いうのが、世界はアメリカ化しているんじゃなくて「スウェーデン化」しているのだ、というもの。
え、スウェーデン? 世界はスウェーデン化してるって??
面白そうでしょ。
このつづきは また今度。