夏休みだヨ!・1人読書マラソン其の1

クリスティーン・ボーデン著『私は誰になっていくの?−アルツハイマー病者からみた世界』を読了。

私は誰になっていくの?―アルツハイマー病者からみた世界

私は誰になっていくの?―アルツハイマー病者からみた世界

著者のクリスティーン氏*1については、NHKで去年特番が組まれたりもしていたので、すでにご存知の方も多いことでしょう。彼女は46歳の時にアルツハイマー病と診断*2され、その後は執筆や講演などの活動を精力的に行っておられます。
本書は副題の通り、アルツハイマー病者にとってこの世界がどのように体験されているのかを、病気をもつ本人自身が克明に綴った非常に稀有な1冊。私はちょうど、一昨日の精神医学の試験の準備でアルツハイマー認知症の超初歩を勉強したばかりなので、いわゆるオーソドックスな「教科書の記述」と、病気をもつ「本人の語り」のあまりのギャップにあらためて驚かされました。「意欲障害」、「観念失行」、「視空間失認」なんてコトバで何かを分かった気になんて、決してなっちゃいけない。ましてや、そんなコトバで病をもつ人を「理解」できるなんて発想、人をバカにするにもほどがあるよね。(というか、人を人と思ってないからこそ可能な発想か。)ということを強力に再認識させてくれる内容です。
ただ、いくつか気になった点も。文句系の「気になる」じゃなくて、今後継続して考えていきたい、課題系の「気になる」という意味で。
まず、特に本書の後半以降で濃密に語られる、キリスト教信者としてのクリスティーン氏の体験について。とりあえず今のところ特定の宗教的信仰をもっていない私は、そのあたりの記述については正直ちょっと「乗れない」感じを持った。おそらくクリスティーン氏のそうした体験は、彼女の夫へのインタビューにもあるように、「宗教」というより「スピリチュアリティ」の問題として読み解かれるべきなのだろう。と私も思うのだけど、いかんせん「スピリチュアリティ」については私はまだピンときてないので、よく分かりません。でもすごく大事なテーマ。これは今後も考えていくべき課題。
そしてもう1つ気になったのは、「脳の機能」(≒「意識」?)と「アイデンティティ」の関係について。本書の原題"Who Will I Be When I Die?"「死ぬ時私は誰になっているの?」に端的に示されているように、脳が萎縮してその機能が損なわれ続けていった先に存在する「私」は、それでもなお「私」であると言えるのだろうか?「私」はどこまで「私」なのだろう? これは「脳死」、「身体」、「公共性」、あと社会福祉領域で言えば「自己決定性」などの問題につながっていく、大きな問いだなあ。考える上でのキーワードは、「スピリチュアリティ」や「かかわり」かなあ? これもMy課題です。
ともあれ、とても読みやすい本なので、今後も幅広く一般に読まれ続けていくことを期待します。そして、特に医療・看護・社会福祉・心理などの領域の専門職者にとっては、必読の1冊と言えるでしょう。畏れをもって読むべし。

*1:ちなみに現在は再婚して姓は「ブライデン」になっておられます。

*2:ただし正確な診断カテゴリは「前頭側頭型認知症」に当たるとのこと。「アルツハイマー病」、「前頭側頭型認知症」および「アルツハイマー認知症」の三者は必ずしもイコールで結べるものではないと思うが、ここでは本書の内容に則って「クリスティーン氏はアルツハイマー病にかかっている」との前提に基づいてコメントします。